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  • 2016.03.08 Tuesday

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    サドベリー教育という価値

  • 2016.01.26 Tuesday


  • 西宮サドベリースクールは各家庭から学費を貰っています。
    これは、スクールのHP上で公開されている通り、年額420,000円であり、私立校でかかる費用の半額くらいに位置するものかと思われます。(文部科学省HP参照
    http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/006/1317006.htm

    しかし、それでも、スタッフに成り立ての時、僕はこの学費に対して、高いなあという感想を持っていました。
    もっと学費を下げればいいのになと思っていました。

    それは、サドベリー教育OBである僕にとって、この学びは受けられて当前の教育であり、万人が選択できる教育であるべきであって、経済的な格差によって選択できないということがあってはならないと考えていたからです。

    しかし、そんな中、サドベリースクールの保護者の意見が書かれた『自ら学ぶ自由に生きる』という本を読む機会がありました。
    その中で、サドベリースクールという学び方がいかに貴重であるかを知るにつれ、西宮サドベリースクールが掲げる学費は妥当なラインなのだなと思うようになりました。

    ただ、それでも、学費を下げるべきであるという僕の考えは変わりませんでした。
    なぜなら、サドベリー教育の価値は、公教育の選択肢としてあるべき価値を持ったもので、経済的な格差によって受けられないということがあってはならない次元の教育だと考えるからです。

    勿論、西宮もそのことは考えており、奨学金という制度を用意してはいます。
    ただ、奨学金である以上、返済しなければならないものには変わらず、本質的な問題の解決には至らないのかなと思っています。

    西宮の学費は、下げようと思えば一瞬で下がり得るものです。
    生活が困難な家庭に対する学費の援助なども行おうと思えばいくらでも行えます。
    議決権を持つものが多数決をとればいいだけの話だからです。

    子どもとは、目に見える子ども、つまり自分の家庭の子どもだけではないのかなと思っています。
    社会的な"子ども"という存在にどう責任を持っていくか、そういうことが問われているのかなと思っています。

    勿論、学費を下げることで施設維持費などの問題は出てくる可能性はあります。
    しかし、それを解決する知恵を子どもたちは持っているではないでしょうか。



    ー西宮サドベリースクールー
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    HP:http://www.nishinomiya-sud.com/

    続、子どもを信じる

  • 2016.01.12 Tuesday


  •  
    前回のブログで
    子どもに対してこうでなくてはならないとは思うことは、結局親のコンプレックスの問題であり、トラウマの問題でしかありません。
    という考えを述べさせていただきました。
    このことは突き詰めれば、親が嘘偽りのない自分自身を生きる必要があるということかなと思います。
     
    また上の他にも、前回のブログでは、
    子どもと大人に根本的な違いはなく、
    私が立ちあがることによってのみ、子どもが立ちあがるということは自証されなくてはならない
    とも述べさせていただきました。

    それは子どもを信頼するということが、自分を信じることをその根本としているから言えることかなと思っています。
     
    しかし、自分で書いておいてなんですが、このような所謂「べき論」は、それが自身に批判的である限り、達成することが不可能なことだといって差し支えないかなと思います。
     
    人間は完璧ではありません。
    親はどうしようもなく弱く、脆い。
    子どもの意見を無視し、子どものためと、自身のエゴを押し付けていってしまう。
    何が正しく、何が間違っているのか、それすらも分からなくなってしまう中で、子どもはそれでもそれを糧に成長していきます。
     
    それは、親が運よく所謂「正しい」教育を行ったからではありません。
    ただただ、子どもの能力が秀でているからなのです。
     
    親に許されたことは、子どものために生きることのできない自分自身の異なりを嘆くだけくらいかなと思います。
    怒りや不安に苛まれ、後悔を繰り返す中で、それでももう一度子どものためを願い歩み出すことだけです。
    間違いに絡めとられ、身動きがとれない中で、それでも子どものためを願っている事実、この事実こそが子どもを信じるということの土台を成すのです。
     
    自身に批判的であればあるほど、自身のどうしようもなさは浮彫りになります。
    しかし、そのようなどうしようもなさを通さなければ、それでもこどものためを願わざるを得ない自身を発見することはできません。
     
    世間的には否定されるどうしようもなさを契機として、なおそれでも子どもの為に願い生きる自身を発見したという事実。
    その事実は、子どもを対等な存在であると認めるならば、親や世間一般に否定されるように見えるものを契機にして、こどもが自身の願いに気付いて行くことを証明するのではないでしょうか。
     
    目に見えるものだけを見て判断することは容易です。
    しかし、目には見えない思いも、歴然として存在します。
     
    声にはならない声の中で、子どもは親を愛しているものです。
    また、それと同様に親も、声なき声の中で子どもを愛しているのです。
     
    この事実こそ、自分を信じ得る根拠であり、子どもを信じる根拠となるものであるではないでしょうか。

    うまく言い表せていませんが、そんなことを考えています


     
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    子どもを信じるということ

  • 2015.12.29 Tuesday

  •  
    西宮サドベリースクールの団体規約にはその第一として、「子どもを100%信じる」ということが定められています。
    しかし、この「子どもを100%信じる」ということはどういうことなのでしょうか。
    この問題に対して、田中茂樹という臨床心理士は『子どもを信じること』という本の中において、
     
    子どもを信じるということは、都合よく考えて放任することでないのはもちろん、見守っていれば失敗しないだろうと信じるのでもありません。そうではなく、失敗するかもしれないけども、失敗してもまた立ち上がる強さを持っていると信じるのです。自分の子供は信じるに値する子だ、大事にするのに値する子だと信じるのです。親から信じてもらえることこそが、子どもにとって決定的に大切な勇気の源になります。

    と述べ、子どもを信じることとは「失敗してもまた立ち上がる強さを持っていると信じる」ことであると言います。
    確かに、田中の言うとおり、一般の方に分かりやすく言うならば、「子どもを100%信じる」とは自分に都合の良い解釈で放任的に責任を放棄することや、この子は失敗しないだろうと強く念じることではなく「失敗してもまた立ち上がる強さを持っていると信じる」ことであると言っていいのかなと思います。
     
    ただ、この「子ども信じる」ということが、子どもを否定することに繋がってはならないとも思います。
    立ちあがると信じることは、立ち上がれない状況の子どもを否定しかねないからです。
    なので、あくまで子どもを信じるということは、対外的に表現されてはならないのかなと個人的には思っています
     
    そもそも、少し話はずれますが、子どもに対してこうでなくてはならないとは思うことは、結局親のコンプレックスの問題であり、トラウマの問題でしかありません。
    自らの中のコンプレックスやトラウマと向き合い、自身の中にある内的な子ども性を受け入れなおし、子どもと同じ次元に立って初めて、子どもを信じるということは成り立ち得るのかなと思っています。

    子どもと大人に根本的な違いはありません。
    私が立ちあがることによってのみ、子どもが立ちあがるということは自証されなくてはならないのではないのかなあと思っています。

    全然言葉が足りていない気がしますが、長くなりすぎたのでこの辺で終わっておきます(笑)
     
     
     
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    後藤 海 (うみ)

    兵庫県神崎郡在住
    雲林山光圓寺後住 真宗大谷派僧都・大谷大学文学研究科博士後期過程在学 修士(文学)

    サドベリー型の「デモクラティックスクールまっくろくろすけ」の創立より7年の間、生徒としてオルタナティブ教育を経験する
    2015年4月より子ども達の信任を得て、西宮サドベリースクールスタッフ






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