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  • 2016.03.08 Tuesday

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    無意味なことから学ぶ

  • 2016.02.09 Tuesday


  • 私たちは様々な物事について無意味、有意味と判断します。
    例えば、"ゲーム"を「時間の浪費」とし、無意味であることと判断することなどは、その典型と言えるでしょう。
    また、逆に"勉強"を「将来の役に立つこと」として、有意味であると判断したりすることも同じであると言えます。

    私たちは自分自身の価値観により、様々な物事について、意味があるかないかを常に判断し続けています。
    しかし、残念ですが、その判断が実際に則さないことは多々あることかなと思います。

    例えば、先に挙げた"ゲーム"は、価値観が違えば、「時間の浪費」ではなく、
    ストレスを解消し、いのちを維持するための方法であったり、
    成功体験を積むためのメソッドであったり、
    社会的なコミュニケーションを円滑に進めるためのツールであったりもし得ます。
    また、同じように"勉強"も、価値観が違えば、「将来の役に立つこと」ではなく、
    コミュニケーションを阻害する価値観を形成する要因となったり、
    自己実現の可能性を奪い幸福であることを妨げる原因であったり、
    精神的虐待となって社会全体に悪影響を与えるものであったりもし得ます。

    一見、自分自身には無意味に見えるものも、見方を変えれば、全く違う様相を呈してくる。
    仮令、意味を見いだせない物事があったとしても、それは自分自身の理解力が乏しいことを意味するだけ、物事の無意味性を保証するものではないのかなと思っています。(僕なんかは恥ずかしいほどに理解力が乏しいです(笑))

    なぜなら、本来的に無意味であるものはないと考えているからです。

    短絡的に即断することは、問題を起こしがちです。
    よくよく考えて、間違わないようにしていても、自分一人ではどうしても間違ってしまうのが人間かなと思います。
    他人の主張を聞き、他の価値観から見える側面を間接的に体験させてもらうことによって、自分自身の偏りを理解していく。

    自分自身の無意味さともう一度対話し直すことは、他人(子ども)と理解し合う重要な要素であるといって差支えないでしょう。
    固定した価値観にとらわれず、他人の話を聞く態度を常に持つことこそ、学ぶということの具体性であると言えるのではないでしょうか。



     

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  • 2016.03.08 Tuesday


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    後藤 海 (うみ)

    兵庫県神崎郡在住
    雲林山光圓寺後住 真宗大谷派僧都・大谷大学文学研究科博士後期過程在学 修士(文学)

    サドベリー型の「デモクラティックスクールまっくろくろすけ」の創立より7年の間、生徒としてオルタナティブ教育を経験する
    2015年4月より子ども達の信任を得て、西宮サドベリースクールスタッフ






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