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  • 2016.03.08 Tuesday

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    サドベリースクール卒業生たちの現在

  • 2016.03.08 Tuesday

  • サドベリースクールを卒業したOBOG達は現在どうしているのでしょうか

    この素朴な疑問に応えてくれるブログがあります

    それは「サドベリースクールの卒業達は今」というブログです


     
    このブログは西宮サドベリースクールのOBで、現在、八ヶ岳サドベリースクールのスタッフをしている鈴木一真が運営しているものです

    このブログではサドベリースクールのOBやOGの現在を紹介しつつ、サドベリースクールで育った生徒がどう成長していっているのかを紹介しています

    まだまだ出来立てほやほやのブログですが、様々なサドベリースクールのOBOG達の生の声を聞くことができます

    興味があれば訪問して頂ければと思います


     
    また、このブログではサドベリースクールのOBOG達への質問を受け付けてもいます

    例えば、「サドベリースクールを選んだのはなぜか?」という質問や、「不安にとりつかれたりしないの?」という問いなどです

    質問の内容は特に限ってはいないみたいです

    ネタの提供とでも思って気軽に質問して頂ければ彼も喜ぶと思いま



    ー西宮サドベリースクールー
    Facebook:https://www.facebook.com/nishinomiya.sud
    Twitter:https://twitter.com/nishinomiya_sud
    HP:http://www.nishinomiya-sud.com/

    本音を言う難しさ

  • 2016.02.26 Friday

  • 例えば、何かに強くこだわる人(子ども)がいます
    こうでなければならないと強く迫られるように感じている人がいま
    なぜこだわるのか
    それは、こだわるに足る理由があるからです

    また、例えば誰かを傷つけてしまう人(子ども)がいます
    心にもない言葉を吐いてしまったり、思わず手が出てしまう人がいます
    なぜ、そのようなことをしてしまうのか
    それは、その行為に足る苦しみがあるからです

    しかし、我々はそれに気付くことができません
    なんだあいつは!とコンプレックス丸出しで怒りにとらわれます
    自己中心的で、想像力が欠如しているからです
    自分を正当化し、相手を責めたて、その人がこだわるに足る理由や傷つけてしまうに足る苦しみを話す機会を奪い取るからです

    聞く耳のないものに本当のことを話すことは難しいものです
    いや、そもそも聞く耳があったとしても、本当のことを話すことはとても難しいものだと言わなければならないかもしれません

    どんな人でも、自分の本音が受容される経験をもっていなければ、当たり障りのない建前を言ってしまうものです
    一見正しそうに見える玉虫色の論理に惑わされ、自分自身にすら自分の本音を出さない道を選ぶかもしれません
    悲しみや苦しみが威圧的な態度や暴力としてあふれ出てしまうかもしれません

    それもこれも、拒絶されるのが怖いからではないでしょうか
    もしかしたら、過去にそのこだわるできごとで、二度と味わいたくないほど深く傷ついたのかもしれない
    もしかしたら、傷付けることに傷つきながらも、傷付けることでしか自分を守れないのかもしれない

    それに足る理由を聞くことができれば理解できないことはありませ
    問題は常に有機的に相互関係を構成しています
    だからこそ、聞き手はその行為の背景を考えなければならないのかなと思います
    同じ人間なら、自分がそうであるように、必ずそれに足る理由があるはずです

    諦められるなら諦めればいいのです
    諦められないなら、諦めたくないと言ってもいいのです
    仮令、それがどれほど矛盾していてもです

    本当に悪いと言い切れる人間など存在しない
    少なくともそう僕は信じています



    ー西宮サドベリースクールー
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    HP:http://www.nishinomiya-sud.com/
     

    無意味なことから学ぶ

  • 2016.02.09 Tuesday


  • 私たちは様々な物事について無意味、有意味と判断します。
    例えば、"ゲーム"を「時間の浪費」とし、無意味であることと判断することなどは、その典型と言えるでしょう。
    また、逆に"勉強"を「将来の役に立つこと」として、有意味であると判断したりすることも同じであると言えます。

    私たちは自分自身の価値観により、様々な物事について、意味があるかないかを常に判断し続けています。
    しかし、残念ですが、その判断が実際に則さないことは多々あることかなと思います。

    例えば、先に挙げた"ゲーム"は、価値観が違えば、「時間の浪費」ではなく、
    ストレスを解消し、いのちを維持するための方法であったり、
    成功体験を積むためのメソッドであったり、
    社会的なコミュニケーションを円滑に進めるためのツールであったりもし得ます。
    また、同じように"勉強"も、価値観が違えば、「将来の役に立つこと」ではなく、
    コミュニケーションを阻害する価値観を形成する要因となったり、
    自己実現の可能性を奪い幸福であることを妨げる原因であったり、
    精神的虐待となって社会全体に悪影響を与えるものであったりもし得ます。

    一見、自分自身には無意味に見えるものも、見方を変えれば、全く違う様相を呈してくる。
    仮令、意味を見いだせない物事があったとしても、それは自分自身の理解力が乏しいことを意味するだけ、物事の無意味性を保証するものではないのかなと思っています。(僕なんかは恥ずかしいほどに理解力が乏しいです(笑))

    なぜなら、本来的に無意味であるものはないと考えているからです。

    短絡的に即断することは、問題を起こしがちです。
    よくよく考えて、間違わないようにしていても、自分一人ではどうしても間違ってしまうのが人間かなと思います。
    他人の主張を聞き、他の価値観から見える側面を間接的に体験させてもらうことによって、自分自身の偏りを理解していく。

    自分自身の無意味さともう一度対話し直すことは、他人(子ども)と理解し合う重要な要素であるといって差支えないでしょう。
    固定した価値観にとらわれず、他人の話を聞く態度を常に持つことこそ、学ぶということの具体性であると言えるのではないでしょうか。



     

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    後藤 海 (うみ)

    兵庫県神崎郡在住
    雲林山光圓寺後住 真宗大谷派僧都・大谷大学文学研究科博士後期過程在学 修士(文学)

    サドベリー型の「デモクラティックスクールまっくろくろすけ」の創立より7年の間、生徒としてオルタナティブ教育を経験する
    2015年4月より子ども達の信任を得て、西宮サドベリースクールスタッフ






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